西日本豪雨災害(2018年7月)に思う

――倉敷・小田川水害を中心に

大熊 孝

おおくま たかし | 河川工学・土木史。新潟大学名誉教授、新潟市潟環境研究所所長



はじめに

 

2018年7月6日(金)から7日(土)、愛媛・広島・岡山・兵庫・京都にかけて線状降水帯豪雨となり、土石流・山崩れ・河川氾濫が頻発し、死者226人・行方不明10人(8月10日現在)という大災害が発生した。

特に、倉敷市の高梁川水系小田川では大破堤氾濫があり、約1200?、約4600棟が浸水した。その多くが2階まで浸水し、51人の死者を出した。そのうち42人が1階で溺死、36人が65歳以上であり、昼間の出来事であった。同じケースが2004年7月新潟・福島豪雨で信濃川右支川五十嵐川・刈谷田川の破堤氾濫であったが、それが教訓にはなっていなかった。

私はこういう死者を出さないことを主眼に、この50年間「河川工学」を専門としてきたわけであるが、私のやってきたことは何の役にも立たなかったと慙愧に堪えない。

確かに最近では、従来であれば数百年確率といわれる豪雨が同じ地域に数年を置かず発生しており、異常としか言いようがない。しかし、災害は、自然現象だけで論じることができない社会現象でもある。そこでまず、災害の本質を再確認し、災害対策の基本である技術のあり方を考察し、そのうえで今後の異常豪雨にどう備えるべきかを考えてみたい。

なお、本稿と同じ趣旨の論考をすでにNPO新潟水辺の会誌『新潟の水辺だより』(2018年9月号)と農文協『季刊 地域』(2019年1月号)に発表しているが、本論考が最も詳しく論じている。

 

1、災害の本質

 

私が学生の時、川の勉強で最も影響を受けた人物は小出博(1907~1990)であった。小出は当時東京農業大学教授であり、私は同大まで出かけて講義を聴き、川の視察にはついていき、現場の地質・地形に照らしながら地形図の読み方から、災害の本質まで教えられた。小出は災害に関して次の3点を強調していた。

まずは災害の本質であるが、災害が起こり易いところほど飲料水が得やすく、耕作・交通に便利で人が住みつき易く、災害が起こらないところにはその条件がなく、人は住みつけないということである。災害が起こり易いところに人が住んでいるのであるから、本質的に災害は避けられないということである。

二点目は、災害には「繰返し現象」と「破壊現象」があるということである。一旦破壊が起きたら、次の破壊はもう一度破壊条件が整うまでは発生しない。これを「災害の免疫論」と名付けていた。水害は繰り返し現象であるが、山崩れや地滑りには繰返しがあるものとないものとがある。災害復旧は、その免疫性があるかないかを見究めて、時間軸を考慮したうえで対策を練るべきであるということである。

三点目は、「本家の災害」、「分家の災害」という観点である。本家は長い経験の中で災害に遭いにくいところに立地しているが、分家は後発ゆえに災害に遭いやすいところに立地せざるを得ない。本家と分家の区分は、地域によって異なるが、日本の多くの地域では、江戸時代末期の人口約3000万人までの居住地と、それ以降に増えた居住地で分ければおおむね間違いない。その上で本家が災害を受けるようなときは〝天災〟だが、分家だけが災害を受ける場合は〝人災〟だというのである。

 

2、技術の三段階

 

災害対策を考えるうえで、私は技術を二通りに分類して考えている。

一つは技術の担い手による分類で、「私的段階・小技術」、「共同体的段階・中技術」、「公共的段階・大技術」(図1参照)という見方である。この三つがうまく噛み合うと、最適な災害対策ができる。しかし、明治時代以降、近代的科学技術の導入に連れて、小・中技術が衰え、大技術に偏重してきたが、いまだに災害が頻発する状況を脱していない。

もう一つは、技術の展開過程における分類である。「思想的段階」、「普遍的認識の段階」、「手段的段階」の三分類である(図2参照)。例えば1997年に河川法が改正され、それまでは治水と利水しか対象としていなかったが、河川環境にも配慮することが謳われるという思想的転換が行われた。それによって、それまで河川工学の教科書には川の生物にとって重要な瀬や淵の記述がなかったのであるが、瀬や淵も研究の対象とされ、それらが保全されるようになった。手段的段階でも粗朶沈床や水害防備林が見直されるようになった。粗朶は雑木の枝類を束ねたもので、それを組み合わせて粗朶沈床として護床や護岸に使うのであるが、粗朶沈床は空隙が多く、稚魚の成育に適しており、魚に優しい工法と言われている。江戸時代に多用されていた水害防備林に関しては、河川法説明用のパンフレットでは図2右下のように解説されていたが、水害防備林への科学的認識が乏しく、実際の河川改修事業に生かされておらず、むしろ残されていた貴重な水害防備林が伐採されている状況にある。

要は思想が変わると、急激な変化は望めないが、徐々に認識も手段も変わっていくということである。むろん、手段が変われば思想も変わって欲しい。しかし、ここ30年ぐらいで堤防強化の方法や、土木施工機械の質的・量的発展は目覚ましいものがあるが、それが治水方針に反映されていないのである。

 

3、今回の災害の特徴

 

上述の災害の本質と技術のあり方を前提とすると、今回の災害は、確かに近年稀にみる異常豪雨であったが、基本的に「分家の災害」であり、個人的・共同体的・公共的段階のすべてにおいて起こりうる災害に備えが不足しており、近年発展してきている技術手段の適用がなされていないという2点に総括できる。

写真2は、2014年8月における広島での土石流災害であるが、土石流で形成された扇状地に造成された住宅が襲われたものである。2018年7月の広島県の住宅地などでの災害もこれと同じ現象である。要は、土石流で形成されてきた扇状地に立地していることを、私的段階、共同体的段階、公共的段階のそれぞれにおいてどこまで認識して、事前の準備がなされていたかである。しかし、古くから蓄積されてきた知恵をすべて忘れ、何の準備もしないまま災害を受けたというのが近年の構図である。

なお、2014年災害後に上流に砂防ダムを造ったが、2018年に災害を受けたケースもある。これは砂防ダムの容量が、土石流の総ボリュームに対して小さ過ぎたことによるが、扇状地を形成してきた土砂量を考慮すれば予見できたはずである。

これらの扇状地の上は、50年前は基本的には畑地や棚田であり、土石流が発生したとしても住宅被害や人的被害はなかった。狭い日本ではこうしたところを宅地にせざるを得ないことは理解できるが、いざという時に土石流が住宅地を襲わないように転流させる工夫や避難の工夫が足りなかったということである。

倉敷市の小田川流域の被災地も、典型的な「分家の災害」といえる。図3は1897年の同地域の地形図であるが、平野のほとんどが水田地帯で、集落は微高地に限定的に立地し、輪中堤で囲まれている。小田川の堤防も左岸側(下流を向いて左右をいう)は高梁川合流点から上流に伸びるが、山突き堤防となっており、その上流は無堤となっている。しかし現在は、1999年の井原鉄道井原線の開通などによって倉敷市のベッドタウンとして開発され、今回の水害では浸水家屋は4600棟にも及んだ。この地域は1972年と1976年に水害を受けている。それを踏まえるならば最低限、学校や病院など公共的建物は浸水対策を練っておくべきであったが、それが等閑視されてきた。

地震対策は、1995年の阪神・淡路大震災以降、個人住宅を含め、学校・病院を中心とした公共的建物、橋梁、高架橋など徹底した対策が全国的に行われてきた。2018年9月6日の北海道胆振東部地震では、震度7でありながら、建物被害は全壊109棟、半壊119棟(9月13日新聞報道による)であり、厚真町の山崩れによる住宅破壊と札幌市清田区の宅地造成地における液状化被害をのぞけば、ほとんどの建物は崩壊せず、役場などの公共的建造物は災害救助・復旧活動に機能していた。しかし、水害対策に関しては、全国的に見て、ほとんどの建築物で浸水対策がなされておらず、大きな災害が繰り返されている。氾濫の危険性のあるところでは、越流しても破堤し難い堤防への強化など公共的段階の施策が進まない現状においては、私的段階における個々の建物の浸水対策が早急に進められるべきであろう。

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