絶望をそれでも生きるパレスチナ、ガザ

岡 真理さん(京都大学大学院教授、現代アラブ文学)に聞く

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ホロコーストとヨーロッパユダヤ人

――パレスチナ問題は、年々、風化しているといいますか、あそこにイスラエルという国のあることが当たり前になってしまっているように思われます。第二次大戦中にナチス・ドイツに迫害を受けたヨーロッパのユダヤ人が、自分の国を持ちたいということで国連がパレスチナを分割して国をつくった、それでいいじゃないかと考えてしまっている人が多いんじゃないでしょうか。問題が見えなくなってしまっています。

 

イスラエルという国の成り立ちについて、一般的にそのように思っている人は多いと思いますが、歴史的に考えた時に、パレスチナにヨーロッパのユダヤ人が自分たちの国をつくる政治的プロジェクトとしてのシオニズムは、ホロコーストという出来事があったから始まったのではなく、19世紀の末からあるんです。ホロコーストの犠牲になったユダヤ人は、むしろその運動に賛同しないでヨーロッパに残った人たちであるとも言えます。とはいえ、ホロコーストで故郷を追われ、戦後も故郷に戻ることができず、イスラエルしか行くところがなくて行ったという人も多い。巷で信じられているのとは違う、そうした歴史事実をちゃんと抑えていかないといけないと思います。

 

――最近、『ナチスから図書館を守った人たち 囚われの司書、詩人、学者の闘い』(原書房)という本が出ました。それは、ユダヤ人がナチスの図書館潰しに抵抗し、本を隠してソ連領内に運ぶけれどもそこでも迫害され、アメリカへ運んだりいろいろ工夫します。そして戦後、1948年にイスラエルが建国され、そこに図書館も建てられて隠していた書物を運び、抵抗した彼らは館長や司書になり、よかった、という話になっています。

たしかに当時の彼らの感情としてはそうかもしれませんが、それを現代にレポートするときに、果たしてそれだけでいいのか、ということですね。ナチスに抵抗した、たたかった、という面だけ見てしまって、とても美しい物語をつくってしまっているように思います。

 

そうですね。ホロコーストに関する映画はたくさん作られていますけど、スピルバーグの『シンドラーのリスト』をはじめ、結局、最後はそうやってイスラエルに収斂されてしまう。ナチスの支配から解放されたときにヨーロッパのユダヤ人が難民化し、イスラエルに行かざるを得なかったにせよ、映画などで、イスラエルが解放されたユダヤ人の象徴のように描かれるというのは、シオニズムを正当化する政治的な誘導です。

ヨーロッパにおけるナチズムやホロコースト、ユダヤ問題を研究されている方は多いですが、多くの場合、ヨーロッパの問題として完結してしまっています。ホロコーストによって25万ものヨーロッパ・ユダヤ人が難民化し、国連がパレスチナ分割案の採択決議をしてユダヤ国家をつくった。国連決議は1947年のことですから今年で72年です。70年以上続いていてなお解決しない紛争の種を国際社会がまいた結果として、いまのパレスチナ問題があるわけですが、ヨーロッパの研究をしている方たちはそこまで問題意識がいかないようです。だから、どうしても、ヨーロッパでユダヤ人の身に起きたことと、いまパレスチナで起きていることとが、問題意識としてつながっていない。

 

――近年は、たとえばシリアの内戦があって難民が流出し、その受け入れをめぐってヨーロッパではナショナリズム、民族主義的な国家主義が台頭し、パレスチナ問題がなかなか重く見られないようになっています。

 

難民になってもう70年

問題の緊急性や深刻度が秤にかけられていますよね。いまはシリアの方が緊急だろうと。支援活動をするにしても、限られた時間、エネルギー、能力のなかで、一人の人間が関われることは限られますし、より多くの人たちの共感や関心を動員しようと思えば問題を絞らざるを得ない。

パレスチナの場合、難民になってもう71年です。難民というのは人間にとって例外的状況のはずですが、その例外状況が恒常化してしまって、何ら緊急性を帯びた問題として認知されなくなってしまった。ガザに対する空爆は断続的に続いていて、人々は継続的に殺傷されていますが、一度に何十人と大量に人が殺されるという状況にならないと、新聞も報道しない。シリアの問題も解決したわけではないのに、これが常態になってしまうとメディアは報道しなくなるし、市民の関心も薄れていく。本にも書きましたが、私がすごくショックだったのは、シリアの内戦が始まって、4年5年と歳月が経ち、シリアの難民問題はその間、ずっとあったのに、彼らが地中海を渡ってヨーロッパの難民となって初めて、マスメディアに注目されるということ。何百万人が難民になろうと、彼らが中東の中にいるかぎり、大きく問題にはされない……。

 

――ヨーロッパ目線ですね。自分のところにかかってこないと、どんな火の粉も問題じゃない、みたいな……。

 

そうですね。「ヨーロッパの難民問題」となってはじめて、「私たちの問題」になる。そうでないと、他人事ですね。

 

――だけど、直接の火だねを残したのはイギリスといっていいんでしょうか、ヨーロッパ社会であるわけでしょう。

 

根源的に言えばヨーロッパ社会の歴史的なユダヤ人差別、反ユダヤ主義ですね。ユダヤ人に対する差別というのは、ヨーロッパ・キリスト教社会に巣くった宿痾(しゅくあ)のようなものですが、ヨーロッパは、近代市民社会になってもこれを超克することができなかった。信仰の問題だったら、近代市民社会になって乗り越えることができたはずなのに、それが今度は「人種」なるものと同一視され、信仰が血の問題にすり替えられてしまった。そうした近代の反ユダヤ主義の結果、ナチスによるホロコーストのようなことが起きてしまった。19世紀末にヨーロッパのユダヤ人が、自分たちが人間として解放されるためには、ユダヤ人自身の国を持つしかないという考えに至った、そこからシオニズムという政治的プロジェクトが始まるわけですが、その根本はヨーロッパの歴史的な反ユダヤ主義です。

イギリスにももちろん責任はあるんだけれども、シオニズム側は軍事力、政治力として大英帝国をたのみ、大英帝国側は自分たちのエージェントとしてシオニズムを利用した。結局、イギリスはにっちもさっちもいかなくなって、全部国連に丸投げして逃げていってしまったわけですが。

 

――昨年秋、『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房)を出されましたが、この本を書店で見たとき、えッて思ったんですよ。「ガザに地下鉄が走る日」って、まさかブラックジョークでこんなこというわけないだろう、エジプトとの地下トンネルが通って食料や医薬品が運び込まれたという話も聞かないし、と思ってまず最終章のそこを読んだのです。違っていました。絶望の中でどう希望を持つか、というか、絶望に追い詰められ、ノーマンにされようとしているなかで、しかし、生きる、人として生きるとはどういうことなのか、という問いかけでした。それは、ガザのことであるけれども、いまこの日本で生きている私たちのことでもある……。

 

この本は、『みすず』(月刊、みすず書房)に隔月で、足かけ3年、連載した文章をまとめたものですが、本にするとき、「ガザの地下鉄」とは何かを説明した最終章を加筆しました。ですから、『みすず』の連載しか読んでいない方は、ガザの地下鉄って何のことか分からないまま連載が終わってしまって、エジプトとの地下トンネルの話かと思っておられる方もいらっしゃると思います(笑い)。

最終章を書いたのが去年の夏ですが、筆をどこに着地させていいのか、本当に悩みました。メインのタイトルを「ガザに地下鉄が走る日」としたのは、ガザで私が目にした地下鉄の路線図の話で最後を締めくくろうという構想が最初からあったためですが、昨年の3月30日から、ガザで「帰還の大行進」が始まって、そのなかで、あえてパレスチナ解放の殉難者になるという形で合法的に自殺する人々や、あるいは、そうした「合法性」を偽装することもなく、通りで灯油をかぶって焼身自殺する、そういうことがガザでいま、頻々と起きていて、状況はあまりにも絶望的で、そうそう単純に、「でも、ここに希望はある」などというふうには書けなくて、しかし、だからといって絶望だけで終わらせることもできないし、本当にすごく揺れました。

 

――最近、川上泰徳さんが岩波書店から出されました。

 

『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』ですね。1982年に大虐殺のあった、ベイルートのシャティーラ・キャンプを舞台に、そこで暮らすパレスチナ難民たちの証言を通して、シャティーラという難民キャンプそれ自体がたどってきた歴史と、ナクバ以来、パレスチナ人がたどってきた歴史を描き出した、すばらしい作品です。アラビア語が堪能な川上さんだからこそできたお仕事だと思います。

(以下は本文をお読みください)

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