トランプ政権と分断進む米国社会

油井大三郎

ゆい・だいざぶろう | 

1945年生まれ、アメリカ現代史。一橋大学・東京大学名誉教授)


はじめに

 

トランプ政権にはいくつもの謎がある。第一には、人種差別や女性蔑視の暴言を繰り返し、米国本位の外交を主張する特異なキャラクターをもつ人物が二〇一六年になぜ大統領に当選できたのか、という謎である。第二は、大統領就任後も妄言や自国本位の外交を継続しているが、図1に示されるように、支持率はずっと40%台を維持し、大幅な支持率低下がみられないのはなぜか、第三に、それほど現在の米国社会は分断が進行しているのであろうが、その分断とはどのような性格のものなのか、という三点である。紙幅が限られているが、これらの点を検討してみたい。

 

1 ドナルド・トランプという特異な人間とその背景

 

特異なキャラクターの形成

ドナルド・トランプは、一九四六年にニューヨークで生まれた。父親が不動産業を営んでいた関係で、お抱え運転手やコック付きの裕福な家庭で育った。我が儘な坊ちゃん育ち故、中学時代には教師に暴力をふるったため、父親が軍学校に転校させたほどであった。大学時代に父親の不動産業を継ぐことを決意し、近隣の大学からペンシルベニア大の不動産学部に転校したが、当時盛んであった学生運動には全く無縁な学生であったという。

大学卒業後、父親の会社に入社したが、会社は一九七二年に賃貸住宅への黒人の入居拒否の疑いを受け、営業停止処分をうけた。その裁判で、マッカーシー上院議員による赤狩りの主任顧問を務めた弁護士のロイ・コーンと知り合い、「一回攻撃されたら、何倍にして返す」という攻撃的な人生観を学んだという。また、この裁判を通じてトランプは、低所得者向けの仕事に嫌気が差し、高額所得者が住むマンハッタン地区に進出し、「タフで抜け目のないディール・メーカー」という評判を獲得していった。

同時に、黒人嫌いの体質が形成され、一九九〇年代に獲得したミスユニバース事業では、美人コンテストから黒人候補の除外を画策したこともあったという。

一九八〇年代のトランプは、マンハッタンの中心部への高級ホテルやマンション建設に成功し、不動産王の地位を築いた。また、セントラル・パークのスケートリンク改修工事をめぐり、当時のニューヨーク市長コッチと大論争を展開、マスメディアの注目を浴び、『トランプ自伝』がベストセラーになった。また、絶えず美人をつれて、豪華な生活を見せびらかすライフスタイルはニューヨークのゴシッブ誌をかざることになった。

しかし、一九九〇年代に入ると、新たに進出したカジノ業で失敗、四回も倒産の危機に直面したが、その都度、銀行がトランプの「名声」を評価して救済したという。二〇〇四年からはNBCテレビの人気番組「アプレンティス(徒弟)」の司会役に採用され、不十分な起業プランを発表した青年に「お前は首だ」と宣告するきめ台詞が全米で評判となった。また、プロレス中継にも登場し、自ら場外乱闘を演じるなど、一躍全米に知られるタレントにもなった。このようなテレビ出演を通じて、トランプは大衆を喜ばせる「ポピュリスト的感覚」を身に付けていった。

 

オポチュニストとしての政治家トランプ

政界への進出は、一九九九年に父親が死んでから始まり、当初は、ニューヨークで強い民主党に属したり、テキサスの大富豪、ロス・ペローが結成した改革党から二〇〇〇年の大統領選挙に出馬したが、早々に敗退した。その後、所属政党を七回も変更したというから、あまり、定見はなく、オポチュニスト的性格が強いと思われる。それでも、一九九二年と九六年の大統領選挙に出馬したパトリック・ブキャナンを支援したが、両者の主張には多くの点で類似性が見られる。

例えば、ブキャナンは二〇一一年に刊行した『超大国の自殺』で、白人人口が二〇四一年に過半数を割るとの予想に危機感を表明し、「多様性こそ米国の力」というのは神話であり、白人こそが米国を建設してきたと主張した。その上で、白人の凋落が始まったのは一九六五年の移民法で西欧系に有利であった出身国別割当制を止め、家族や技術を優先する政策に転換したためと非難し、「白人優越主義」を主張した。また、ブキャナンは、「アメリカ・ファースト」を主張するとともに、保護貿易主義や移民排斥、さらには、日独の核武装や日米同盟の破棄まで主張していた。これらの政策のかなりの部分は、トランプの政策に継承されている。

このように白人優越主義的な心情をもっていたトランプにとって、白人と黒人の混血であるバラク・オバマが二〇〇八年の大統領選挙で当選したことは一大ショックであり、トランプは、オバマが外国生まれで、大統領に就任する資格なしと主張する「バーサー(Birther)」運動を主導していった。

しかし、二〇一一年四月に開催されたホワイトハウス記者協会のディナーパーティに出席していたトランプの面前で、オバマ大統領は、ハワイ生まれの出生証明書をスクリーンに大写しし、この証明を「誰よりも幸せに思い、誇りに思っているのはトランプ氏だ」と説明したので、満場は爆笑したが、トランプは顔を引きつらせていたという。以来、トランプは、大統領選への出馬を本格的に決意し、当選後はオバマ政権の政策をことごとく否定することになるのである。

 

2 二〇一六年大統領選挙と米国における保 守思想の変遷

 

州別の選挙人獲得状況

二〇一六年の大統領選挙の一般投票ではヒラリー・クリントンが二八七万票近く上回っていたにも拘わらず、正式の決定は各州に割り当てられた選挙人数で決まるため、トランプが三〇六人で、クリントンを七四人上回ったので、勝利した。この結果は、各州に割り当てられた選挙人数のアンバランスを示しているが、連邦制を維持するためには少人数の州の意向も尊重する必要があるため、選挙人数による決定が行われてきた。

図2は、二〇一二年のオバマ再選と二〇一六年のトランプ当選の州別の獲得状況を図示したものである。白抜きが民主党多数の州で、網がけが共和党多数の州である。

まず、二〇一二年の選挙で民主党が獲得した州をみると、大西洋岸北部と太平洋岸、五大湖周辺の工業地帯とフロリダ、ニューメキシコ、コロラドであった。それに対して、共和党の獲得州は、南部、中西部の農業州が主であった。それに対して、二〇一六年の選挙では、ほぼ同じ勢力配置であるが、大きく変わったのは、斜線が引いてある中西部の工業地帯とフロリダを共和党が抑えた結果、トランプが勝利した。

とくに、中西部の工業地帯は、多くの工場が海外や他地域に流出したため、現在では製造業が衰退して錆びついたことを意味するラストベルト地帯といわれている。図2で斜線を付した五州の選挙人合計は七〇人になるので、この伝統的には民主党支持地域がキャスティング・ボートを握ったのであった。

また、CNNの出口調査で両候補者の支持層の違いをみると、白人男性ではトランプ支持とクリントン支持が六三対三一、白人女性では五三対四三、大卒以上では四三対五二、高卒以下では五二対四四を記録した。つまり、トランプ支持は、高卒以下の白人層に多いことが分かる。

こうした結果、マスコミでもラストベルトの白人労働者層が長年の民主党支持から共和党に鞍替えしたことがトランプの勝因と強調された。しかし、伝統的な共和党優位州である南部や中西部農業地帯の支持がなければ、トランプの勝利もなかったことも明らかである。それ故、トランプの支持基盤は、南部や中西部の中小企業・農業地帯に加えて、ラストベルトの白人労働者層と推定できる。

しかし、中西部農業地帯の主要な産物である小麦、大豆、酪農製品は国際競争力が強く、自由貿易の恩恵を享受してきただけに、トランプの保護貿易政策に対しては反対する可能性が高い。つまり、トランプの支持層は、相互に矛盾する傾向も秘めているのであり、その調整が必要になる。工業製品や先端技術製品をめぐる中国との貿易摩擦が激化する中で、中国が米国からの大豆などの農産物に報復関税をかけたのは、明らかにトランプ連合の弱い環を狙い撃ちしたものであった。

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