気候変動問題が投げかけるもの

住 明正

すみ・あきまさ | 気象学、東京大学未来ビジョン研究センター特任教授



1.はじめに

 

2018年の西日本の大水害や猛暑、2019年の台風15号、19号のもたらした被害は、改めて、地球温暖化に伴う気候変動の影響が現実に起きつつあることを多くの日本人に、そして、世界中の多くの人々に印象付ける結果となった。気候モデルを用いた研究の結果として、研究者が警告していた極端現象が現実に起きていることに驚いたわけである。

しかしながら、地球温暖化に対する世界の取り組みは、それほど簡単に進展していないように思われる。チリでの開催中止の代わりにマドリッドで開かれたCOP25の会議でも、大きな進展が見られなかった。なお、このCOPの会議は、本来は南米チリで行われる予定であったが、チリ国内の騒動で中止になってしまったのを、急遽、スペインが引き受け開催したものである。2か月以内の準備期間でマドリッドでの開催を決めたヨーロッパ諸国の、パリ条約実施に関する意欲を感じさせる物事であった。現実には、予想通り、パリ協定第6条の市場メカニズムに関するに実施指針に関しては合意が形成されなかった。あらためて、問題の困難さを、印象付けることとなった。具体的な行動になるにつれ、自国の、あるいは、わが社の、そして、私の損得が明瞭に意識されてくるので、合意を作るのは困難になってくるからである。

地球温暖化問題は、そもそも、大気中の温室効果気体、特に、C<RUBY CHAR="O"," 2">の増加に伴う問題として意識された。C<RUBY CHAR="O"," 2">の排出は、主として、燃焼に伴うプロセスで起きるのであり、エネルギーの問題として意識された。エネルギーは、経済活動の原動力ともいえるし、我々の市民生活の基盤を作っている基盤ということができる。当初は、エネルギーの使用によりバラ色の未来を夢見たものであるが、すぐに、その副作用に気が付くことになった。大気汚染や海洋汚染などの環境への悪影響や、交通渋滞や騒音など生活条件の悪化などである。これらは公害と呼ばれ、我々の経済活動に伴う不都合(外部不経済)として意識された。

そこで、公害に代表される環境問題と併せて、エネルギー問題は、3E問題(エネルギー―エコノミー―エンバイロメント)として考えられることとなった。しかし、この時の潜在意識としては、以下のようなものであったと推察される。本心としては、あくまでも経済成長を目指すのであるが、何も考えずに経済成長を目指すわけにはいかない。経済の発展を律する束縛条件として、エネルギーや環境がある、そこで、その束縛条件を意識しながら発展を考えようということであったと思われる。また、80年代から90年代には、「地球温暖化の影響が出てくるのはまだまだ先の話であり、着実に技術開発を行っていれば何とかなるであろう」というような安心感があったように思われる。

この時点では、日本の切り札の一つは、原子力であった。フランスのようにはいかないにしても、もっと原子力を増やすべきという意見も強かったのである。この結果、「地球温暖化論者は、原発推進者の隠れ蓑」といういわれのない批判も、原発反対者から寄せられたこともあった。もっとも、日本が、原子力に舵を切った背景には、2度にわたる石油ショックがある。中東に日本経済の根幹をゆだねるリスクに対し、リスク分散として原子力の導入を図ったのである。したがって、当初は、原子力に伴うリスクも意識されていた。

しかしながら、その後の「安全神話」の導入により、思考停止に陥っていたのが現状であったと思われる。しかし、3・11の東日本大震災に伴う原発の停止は、新たな地平を用意した。今や、原子力発電は、コスト的にも自然再生エネルギーよりも高くなっており、「原発は安い」という神話は崩壊した。また、膨大な富が、石油・天然ガスの輸入代金として海外に流れてゆくことを考えれば、日本に存在する自然再生エネルギーで日本の需要を賄うことは、経済的にも重要な視点であると考えられる。

いよいよ、具体的な対応が必要になったときに、なかなか合意が進まない背景には、それぞれの利害がぶつかるからである。それでも高度成長期には、「明日には豊かになれる」という希望を持つことができたために、開発に向かっての社会的なコンセンサスが可能であった。しかしながら、現在では、すべての人が持ちうるような希望は見当たらない一方で、あらゆる分野で問題が顕在化してきた。

日本で考えれば、高齢化社会の到来による社会保障費の増大や、非正規雇用の増大に伴う格差の拡大、デジタル化やグローバル化の進展に伴う雇用の喪失、そして、国際競争力の低下に伴う経済力の低下などである。非正規雇用などで明日の仕事が心配の人には、30年先、50年先のことが遠い国のことのように感じられると思う。国際的に見ても、格差の拡大は進行している。移民に伴う雇用の喪失などの不安感も増している。政治的には、イスラム原理主義の拡大や自国第1主義によるトランプ政権の動きなど国際情勢の不安定化などが見て取れる。総体として、未来に関する不透明性が、個々人の漠然たる不安につながっている。地球温暖化問題の重要性は理解するものの、自分の直面している問題も解決してほしい、というのが、偽らざる心情なのではないだろうか。

このような状況を受けて、国連では、SDGS(持続的成長につながる開発目標)が設定された。そこでの「誰も取り残させない」というスローガンは、「様々な問題を抱えているでしょうが、誰一人の問題も無視しませんよ」というメッセージなのである。裏を読めば、今までは、そして、いつでも「ある部分の問題を切り捨ててきた」ということである。

そこで、提起されてきたのが、「問題をまとめて、全体として考える」視点である。いわゆるサステイナビリティ(持続可能性)を考えようというわけである。このような動きは、従来から存在した。しかし、文理融合とか学際的な学というスローガンが語られてきたが、なかなか、進展しなかった。結局のところ、個人の知的好奇心に基づく学問の枠内での試みであったので、大きく広がらなかったといえよう。言い換えれば、個人の資質に依存していた、ということである。しかしながら、現在では、具体的な課題として問題が提起されており、それに取り組むことが必至という状況になっている。先に述べた持続的な開発目標(Sustainable Developmnt Goals)が、国連で採択されたことが、この状況の変化を特徴的に表している。

しかしながら、「全体を考えよう」と声高に主張しても、具体的な手法を提示しなければ空回りとなる。まずは、対象を捉える具体的な考える軸(視点)が必要となる。

東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S=Integrated Research System for Sustainablity Science)では、自然システム、社会システム、人間システムという3つの軸と、それらの相互作用という点で対象をとらえることを提起している。従来の環境と経済というような視点と比べて、人間システム、すなわち、人の心の問題を組み込んだところが特徴である。最近では、「孤独や不安」など心の問題の重要性が広く認識されてきたのが特徴である。SDGSでも、Well Being(しあわせ)を重要な基準としている。従来は、心の問題は、主観的であり、客観性に基づく科学の枠に入らないと考えてきたのだが、人を人間として扱おうとするならば、この問題を避けては通れないであろう。

なお、三つの軸というのが分かりにくければ、フランス革命での、「自由・平等・博愛」というスローガンを思い起こしてもらいたい。我々の行動を起こす原点として考えなければならない視点を提起しているのである。このスローガンによって、何となくフランス革命が目指す意義が伝わってくる。IR3Sが掲げるサステイナビリティ学とは何かについて知りたい人は、『サステイナビリティ学の創生』(東京大学出版会)を参照してもらいたい。

このように、諸問題を総合的に解決しようという意味で、今、日本の多くの地域で、その地域の特性をもとにした地域再生の試みが取り組まれている。その中では低炭素社会の確立というのが一つの柱になっている。もちろん、日本全体としての温室効果気体の排出削減であることに寄与しようということに間違いはない。しかし、地域再生の視点があることも重要である。地方での経済分析により、エネルギー代金として多くのお金が都市域に流れていることが指摘されている。地域で作れる自然再生エネルギーで、自分たちの所のエネルギーをまかなえれば、多くのお金が地元に落ちることになり、地域経済圏の活性化が図れることになる。このようなエネルギーの地産地消の試みが、始められようとしている。

過疎と高齢化が進む地方にとっては、交通と物流・医療などが大きな課題となっている。一つの方向は、集中化を進める、コンパクトシティ化である。一方、地域への愛着を重要視すれば、交通システムを新たな視点で再構築する必要がある。電気自動車と自動運転は、過疎の高齢者社会の在り方にも新しい光を投げかけてくれる。情報社会に伴う物流の変革は、新たな地域社会を切り開くであろう。高齢者にとっては、社会からの隔絶、孤立化が大きな影響を与えるからである。

 

今や、地球温暖化問題を通して提起されている課題に答えてゆくことは、21世紀社会の人間社会の新しい在り方を問う問題となっている。

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