スパイにされた北大生・宮沢弘幸

福山瑛子

 | 作家



私は宮沢弘幸の妹美江子でございます。現在、宮沢家ではただ一人の生存者です。兄弘幸は、太平洋戦争が始まった日に、いわれのないスパイ罪で検挙され、敗戦後、釈放されると、私たち家族に次のような体験を語り聞かせてくれました。

 

 

早朝の北大構内はひっそりしていた。宮沢弘幸は急かされる思いで外人教師が住む官舎を目指し、足早に歩いていた。ラジオで聴いてきたばかりの「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」のニュースが耳にまとわりついていた。弘幸は日本がアメリカと戦争しても、ハロルド・レーン先生とはこれまで通り付き合うつもりだったし、何があってもレーン一家を守りたいという気持ちでいっぱいだった。

五軒並ぶ官舎が見えてきた。奥から二番目がレーン先生の家である。玄関のベルを押すと、女中のシゲが出てきて顔を見るなり、奥の間に向け「宮沢さんが見えましたー」と声を上げた。直ぐにレーン先生が現れた。憂いに満ちた目を向け、「困ったことになりましたねえ」と言った。

「僕の先生に対する気持ちはこれまで通りです。先生に何か困ったことが起きた時には、僕がお助けします」

「私の君たちへの気持ちも変わりませんよ」と言って、レーンは手を差し延べてきた。二人は強く手を握り合った。夫人も顔を出し、「来てくれて、ありがとう」と言って微笑んだ。何時もの親しみに満ちたあたたかい彼女の表情が、弘幸の緊張を解いてくれた。弘幸も笑顔になって二人に別れを告げた。

正門へ向かって歩いていると、にわかに三人の男に取り囲まれ、両側から腕をつかまれた。

「何をするんだ?」

「スパイ容疑で検挙する」

「スパイ? 何かの間違いだ!」

大声で叫んだが、身動きができなかった。男たちは弘幸が円山の下宿を出る時からつけてきたようだ。両腕を振りほどこうともがくと、もう一人の警官に手錠をかけられ、近くに止めてあった車に引きずり込まれた。「スパイなんかしていない!」と弘幸は大声で叫んだ。車は直ぐに発進し、札幌警察署前で止まった。玄関脇の部屋へ入ると、直ぐにカメラをかまえた警官に正面から顔写真を撮られた。廊下にまた一人、逮捕者が引き入れられた気配がした。

指紋をとられ、別の若い警官に引き立てられて、警察署二階の三畳ほどの独房に入れられた。オーバ―を着たままでも寒かった。壁に寄りかかり腕時計を見ると、まだ十時過ぎである。弘幸は、昨夜、腎盂炎で北大病院に入院している恋人、高橋あや子を訪ねていてよかったと思い、同時に彼女の母親マサに一ヶ月ほど前に忠告されたことを思い出していた。マサは言ったのだ。

「うちの人の部下から、弘幸さんが特高にマークされていると聞いたわ。レーン先生の家に行くのはお止めなさいな」と。彼女の夫、あや子の亡き父はかつて警察署長をしていた。弘幸は黙ったまま、首を横に振っていた。あの時、特高にマークされるようなことを何もやっていないという確信から、助言は母親の杞憂に過ぎないと思った。弘幸は特高が北大の学生課に出入りしているとは、思ってみたことさえなかった。

弘幸ら北大生十数人が二年前から二週に一回、金曜日の夕刻に持ち回りで外人教師宅――レーン家、マライーニ家、ヘッカー家、大黒家に集まり、お喋りをし、歌をうたい、レコードでクラシック音楽を聴いたりしてきた。その会はフランス語で「ソシエテ・デ・クール」(「心の会」)と命名されていた。学生の六割から七割が、東京から来ている弘幸のように本州から来ていて、この会の家庭的なあたたかい雰囲気に惹かれていた。外人教師との会話が英会話の勉強にもなっていた。特高は外人教師らが主催するかに見える「心の会」を、ずうっとマークしていたのだ。

弘幸は、特にレーン夫妻とイタリアの人類学者でアイヌ民族の研究をしているフォスコ・マライーニと身内のように親しんできた。兄弟のように親密になり、今年の春まで彼の家に下宿させてもらっていた。一昨年の冬には手稲山へスキー登山をして、山頂にテントではなく、鋸だけで作ったエスキモー式小屋で一泊した。北海道内をくまなく自転車旅行したし、昨年の九月には一緒に奥穂高と槍ヶ岳登攀にも挑戦した。マライーニは一流のアルピニストだった。今年の四月から彼は、京都大学に招かれ、イタリア語の教師として教鞭をとっている。

小窓から昼食が差し入れられた。丼に麦飯が盛られ、白菜の味噌汁と沢庵がついていた。朝食をとっていなかったから空腹で、またたくまに平らげはしたが、物足りなかった。

午後二時過ぎに取調室に呼び出された。

「君は北海道帝国大学、工学部電気工学科二年生、宮沢弘幸だね? 君はアメリカのスパイ、ハロルド・レーン夫妻と親しくしてきた、ね?」

「レーン先生も夫人も、スパイなんかじゃありません」

「ま、いい。そのうちにはっきりする」

取り調べはそれだけで、独房へ返された。

弘幸の両親は、その日の夜、友人の札幌逓信局長の遠藤毅から電話で息子検挙の知らせを受けた。遠藤はあや子の母マサから知らせるよう、頼まれたのだ。マサは午後、弘幸の下宿先の主人から「宮沢君の部屋が特高に荒らされた。検挙の可能性がある」と通報を受けたのだ。両親は翌日には札幌へ向かい、北大を訪ね、今裕学長に会って「何とかお力をお貸し願えませんか?」と懇願したが、「私には、どうすることもできません」と素気無く協力を拒否された。

一覧ページに戻る