編集後記

新船海三郎

しんふね かいさぶろう | 



▼創刊10年、40号をお届けする。思わずここまで来た、というのが実感。ひとえに読者諸氏のおかげ。心よりお礼を申しあげる。改憲への急な右旋回と新自由主義による貧困・格差の増大が創刊の動機。21世紀にマルクス主義の可能性を議論したい思いもあった。平和と民主主義、人権と自由、社会進歩のひろい議論の場になり、現在からあすへの思慮を深める光源の一つになりたいと願ったが、どうであろうか。10年はつまりは10歳の加齢。若い日と違って10の意味するところは何かと重い。それを?みしめながら、覚悟してもう少し歩んでいこうと思う。諸氏だけが頼りの編集委員の我ら、いっそうのご鞭撻をお願いする。

 

▼創刊準備にあたった2007年は第1次安倍政権。年末に、清水寺貫主が書いた一字は「偽」だった。10年後のいままたこの字が国を揺るがしている。戴いた冠に応じて世は動くということか。が、2度目のいまは〝忖度ファシズム〟といわれるほど酷い。森友学園の国有地取得をめぐる財務省の決裁文書改ざんはその最たるもの。いくら人事権を官邸に握られて戦々恐々とはいえ、財務省の姿はあまりに貧しい。ただの一人も、おかしいと声をあげなかったのか。自民議員に、安倍政権を貶めようとしているのではないかと問われた理財局長は、それはいくら何でもと声を震わせ、お仕えする人に公務員として一生懸命尽くすのが仕事と答弁したが、自分たちは国民全体への奉仕者となぜ毅然と答えなかったのか。彼の口惜しさ、怒りは分からないわけではないが、どこか悲しい情景でもあった。国会の証人喚問にも不遜でありつづける前任者より、情においてまだましとは言え……。

 

▼それにしても、前川喜平文科省前事務次官を付け狙って授業内容や規模、招請意図などを問いただす自民文教族の傲岸、それに従う文科省の体たらくはどうだ。政権政党の文教族を動かさなければ法案一つ通せない役人の辛さもあろうが、ことは、前川などを呼べばろくなことにならないぞという脅しにとどまっていない。教育がだれのものかにかかわっている。国策に従って教育をやったことが先の大戦につながった、とは戦後教育の根本命題である。47年教育基本法を目の敵にした第1次安倍政権でさえ、「教育は、不当な支配に服することなく」の文言を変えることはできなかった。〝忖度〟はただへつらうだけでなく、この国をとんでもないところへ向かわせようとしているのだと、つくづく思う。文書改ざんでもこの一件でも、「日本会議」の姿が見え隠れするのは、ただの偶然などでないことを肝に銘じよう。

 

▼本誌の発売を引き受けてもらっている本の泉社の社長・比留川洋氏が2月末急逝した。小生には青年運動時代の先輩であり、それ以来の誼が本誌創刊の泉。飽きっぽく結論を急ぎがちな小生をなだめ、賺し、笑って、10年よくぞ励ましつづけてくれたと思う。いまはまだ今号の編集に気を紛らせているが、終わってどうなるか。心が折れたら、優しすぎるほどの彼とはいえ、慰めの言葉は持たないだろうと思ってみたりする。

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