「資本」に対抗する民主主義

――東欧「市民革命」と「社会的制度」編成の展開

芦田文夫

あしだ ふみお | 経済理論、立命館大学名誉教授



いま、安倍政治の暴走の下で、「立憲主義」をとり戻し「基本的人権」を擁護するための「市民革命」という言葉が、「二一世紀型の新しい政治」を語るキーワードとして登場するようになってきている。

 

現今の政治の特徴は、戦争法でも沖縄問題でも労働問題でも税と社会保障の問題でも、あらゆることで「国家の暴走」によって「個人の権利・尊厳」が踏みにじられようとしているところにある。しかも、その国民の公共財である公文書が、国民に対しても国会に対しても改ざんされ隠ぺいされて、「国家と個人の関係がまさに逆立ちしている」と批判されている。

 

他方で、それに対抗して叢生しつつある「新しい市民運動・市民革命」と称されるもののなかには、確かにこれまでにはなかったような特徴が見られる。個人としての権利と尊厳の主張、日々の生活次元から発せられるみずみずしい言説、一人ひとりの自覚的な行動と協同の拡がり、政治は変えられるという主権者意識、そして実践的にも「市民の運動」と「立憲野党の共闘」の押し上げ……。また、それらがしばしば未来社会像との重なり、例えば「自立した自由な諸個人のアソシエーション(連帯、協同)」(マルクス)などとも関わらせて、論じられようとするのも近年の特徴であろう。

 

一「市民社会」と「市場経済‐資本主義」

 

これまで市民運動や市民革命―「市民社会」概念の歴史について、もっとも総合的に検討を加えてきた一人といわれるユルゲン・コッカ(独)は、次のようなその歴史的展開の回顧を述べていた(*1)。私なりに区分を付けると、①近代的な意味合いにおいては、まず17・18世紀の「市民革命」期に、啓蒙主義思想によってそれは確立をみた。封建的な身分制秩序や絶対主義的な国家の抑圧に抗して、「自立して自由な人びと」が法の支配の下で協力し合って生きていく。そこでは、人びとの間には「文化的、宗教的、そしてエスニックな多様性に対する寛容」があり、「法外な社会的不平等がなく」、そのような「諸個人と諸集団によって社会が自ら組織される」という考え方が核心にあった。

 

②19世紀前半に資本主義と工業化の影響を受けて、「市民社会」の定義が変化した。ヘーゲルやマルクスにあっては、それが国家からいっそう明確に区別されるようになり、「市民社会」は欲求と労働、市場と個別的利害の体系として理解されるようになる。一般に「市民からなる社会」という意味の用語が後景に退き、「ブルジョアジーからなる社会」という使い方が広くなっていく(但し、グラムシのような幾つかの例外がある、とされながら)。

 

③ところが1980年頃、中東欧の全体主義的な国家に抵抗する運動において、「市民社会という語は、見事なカムバックを果たした」。そのとき、ソ連型の国家による上からの全一的な所有と計画・管理―市場経済の否認―自由と民主主義の疎外というその構造全体に対する批判のなかでは、1960年代半ば頃から始まる「経済改革」-「市場経済」の導入は、「民主主義」の回復とほぼ並行して肯定的に受け取られていった。そして、このような国家に対する批判は、西側の干渉主義的(ケインズ主義的)福祉国家に対しても向けられ、上からの過度の規制と過重負担が限界に近づいていると受け止められるようになっていた。

 

コッカの分析は、主としてこの「独裁制」(あるいは権威主義的介入)の国家をめぐる段階までについてのものであったが、その後の大きな変化と新たな課題の登場を示唆するものともなっていた。今度は「市場経済」がグローバルにあらゆる領域や次元にまで浸透し、そのことが「民主主義」に対する深刻な脅威と危機を引き起こそうとしているからである。諸国民の貧困と格差が極端になり、実体経済が空洞化・畸形化し、一国のマクロ経済が「財政破綻」や「ソブリン(国家債務)危機」に追い込まれ、国の経済的自主権を喪失させていく。そして、一方では国家を越える民主主義が求められるようになるが、他方では国家(安倍式「復古主義」やトランプ式「一国主義」など)の暴走が指弾される。

 

コッカは、歴史的現実の総括にもとづきながら、次のような理論的課題を整理しようとしていた(*2)。

「市民社会」の論理は個人の権利を保障するが、また連帯と社会化、市民的徳性と普遍的福祉への志向をも要求する。ところが「市場」は競争と交換、個人的決定と個人的利得の論理にもとづいており、市民社会とは区別されなければならない。市場の諸原理が「経済」を超えて「社会」的諸関係、「文化」的活動、「生活」世界に浸透するならば、市民社会を脅かし空洞化させる。しかしまた、経済は正当にも市民社会の中心的位相とみなされてきたし、その推進力でもあった。「労働」という範疇は、経済に属するだけでなく、社会の領域にも属するが、資本主義は労働力が市場化されていく社会であり、「経済」と「社会」の間の緊張関係が厳しくなる。また「資本」による決定と権力が集中化していく場合には、市民社会の展望は暗い。だから「資本主義」と市民社会の関係は、多義的でアンビバレントであり、相互に規定的である。同様に市民社会と「国家」の関係についても、対立と断絶だけでなく、人権と市民権の擁護、法治国家・立憲国家の原則、高い水準での広範な参加など両者の緊密な関係も要求される。要は、これら「市場」「労働と資本」「経済」―「社会」「文化」「国家」の間で歴史的に変化していく関係こそが、「市民社会」の概念にとってむしろ本質的な意味があるとされるのである。

 

私もまた、それらの間の構造的編成の変化のなかに、民主主義をめぐる今日的課題の内容が探れるのではないかと考え、本稿で「市民社会」回帰といわれる「第1局面」(「独裁制国家あるいは介入主義国家」に対する批判が主軸となる)および「第2局面」(「グローバルな市場経済化」に対する批判が主軸となる)の枠組みを対比させながら、検討を深めてみようとしたわけである。

 

二 東欧「市民革命」と民主主義「制度」編成

この「第1局面」と「第2局面」をもっともドラスティックに一身に体現する場となったのは、東欧の諸国(11ヵ国)であろう。ここでの経験を、それぞれ詳細な資料を使って理論的に総括しようとした貴重な研究が日本でも紹介された(ハンガリーのボーレとグレシュコヴィッチ、堀林巧・田中宏らによる翻訳と論及 *3)。以下でまずこれに拠りながら、経済学を専門とするものの視点から「市場経済」化と「国家―市民社会」との関係に焦点を当てて、民主主義をめぐる課題が展開していく経緯を描き出してみることにしたい。

 

それは、先取りして特徴づけておくとすれば、全体の起点にも規定されて(しばしば「経路依存性」と称される)、「国家」から「企業(組織、集団)」へという「上からの改革」ルートを基軸とした「コーポレート・デモクラシー」型の編成が中心であったのが(「第1局面」)、いまグローバルな「市場経済化」の浸透の下でその「国家―企業」の枠組みが解体しつつあり、それを越えてもっと拡充した社会全体あるいは世界的な視点のなかに位置づけて、「個人の権利」を問題にしていかざるを得なくなってきている(「第2局面」)のではないかということである。

 

さて、ボーレとグレシュコヴィッチも、まず「市場経済」と「社会」―「国家」との関係を大きく位置づけ直していく必要性を強調し、それを周知のポランニーの理論に求めようとする。それは、「自己調整的市場」の展開といわれるものが全体の基調に置かれ、資本主義は「土地・自然」と「労働力・人間」という本来は非商品的要因であるものをもその中に取り込むことによって、つねに発生するそれらとの調整(「市場」と「土地や労働力」との調整)のリスクが発生し、それを回避する「社会」からの防衛=「社会的保護」制度を必要としてくる。だが、「市場経済」と「社会的保護」との対立の和解は困難であって、その結果「政治」(「国家」や「民主主義」)が稼働するようになる、というものであった(*4)。

 

その上で、ボーレとグレシュコヴィッチは、ポランニーによるその大きな①「市場(経済)」―②「社会による保護」―③「政治」のトリアーデ・スキームを受け継いで、さらにそれを具体化し拡張した6つの次元からなるダイヤモンド図を提唱しようとする。即ち、①と②の間に④「マクロ経済的調整」(財政的および/あるいは金融的調整)の諸制度を挟み込み、「政治」をさらに三つの次元に具体化して③は狭義の「全般的行政能力」とされ、その③と先の①との間に⑤「民主的決定」(代表制)、同じく③と先の②との間に⑥「ネオコーポラティズム的な社会的パートナーシップ」(労使諸関係に関する安定的で温厚な交渉・協議・情報交換)の諸制度を挟み込み、この拡充された③⑤⑥でもって政治的システムの全体的な調整・統治力(民主主義的正当性)を規定しようとするのである。

 

そして、これらの6つの次元からなる諸制度の編成構造の違いによって、中東欧の「体制転換」過程が三つの類型に分けられていった。その転換の主役(階級・階層的主体)たちが「市場経済」を構築し、「社会的結束・社会的保護」と「政治的正当性・民主主義」を保持するために国家権力を利用していったその仕方に応じて――

[第1類型] 急進的な新自由主義的市場経済化、典型はバルト3国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)で、ソ連型の遺産に対するラディカルなナショナリズム的反動で、逆に転換の社会的リスクにはほとんど注意が払われなかった。産業転換と社会的包摂には失敗し、民主主義政治や政策決定に対する市民および組織された社会集団の影響には厳しい制約が課された。中道右派政党の連立が主要に続き、安定的だが排他的な民主制が生みだされていった。

[第2類型] 社会に「埋め込まれた新自由主義」、典型はヴィッシェグラード諸国(チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、ポーランド)で中東欧の中核をなす。市場転換と社会的結束のたえざる妥協の努力、社会的により包摂的な国家の下で、産業政策(大量の外国直接投資をつうじて競争的な複雑な輸出産業を構築)の諸手段・諸制度および温情主義的福祉諸制度を活用して転換の極度の苦難から労働者と経営者を保護、旧社会主義工業の遺産と質の高い労働力を再工業化のために利用する。かなり包摂的な民主制のもと、より多くの不満が表明され易く、中道右派と中道左派の政権交代が不安定に続く。

[第3類型] コーポラティズム型と称され、典型はスロヴェニア。市場経済化の最も急進的でない戦略、体制転換の敗者を最も寛大に補償、ビジネス界と労働界と国家の間の多層的な交渉と妥協的解決を中心とする。早くから強力な労働運動の挑戦を受け、労働組合・中道左派の政治家・経営者に支持された改革派官僚・国家の強い結合が形成され、旧ユーゴスラヴィアの自主管理を受け入れ、やがてそれをネオコーポラティズム的利害媒介制度に転換していく。

異なった経路を経て、また後れをとって、ブルガリアとルーマニアが第1類型を、クロアチアが第2類型の多くの特質を受け入れたとされる。

以上のように、中東欧の「体制転換」の特徴が、まず「政治」の⑤「民主的決定(代表制)」の在り様―「経済」の①「市場経済」の導入の仕方に関わる戦略的決定から始まり、ついでその「政治」の③「全般的行政能力」と「社会」の②「社会的保護」=「コーポラティズム型」利害媒介様式との関わりへと、辿られていくのである。つまり、独裁制の国家に対する批判は「市場経済」化とともに進んでいったのであるが、それが「社会的包摂」との関係で基本的にはコーポラティズム的福祉諸制度を媒介としたものとなり、市民や国民の下からの民主主義運動もその枠組みを超えることが困難であったと云えるであろう。だから、マクロの社会経済的な統治とも切り離されてしまい、全体の国家権力は旧ソ連諸国の多くのように旧・新「ノメンクラトゥーラ」間の横滑りの交代になるか、あるいは中道右派・左派間の交代のもとで、市場経済化=資本主義化だけが一方向的に進行していくことになった。ボーレとグレシュコヴィッチは、中東欧の市場経済化が引き起こす危機を回避し新しい秩序の支持を得るために、予想以上に弾力的な対応を見せたとして、その理由を一つは「ナショナリズム」に、もう一つは「福祉国家と経済的保護主義」に求めようとしていた。

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