ドイツ極右が狙う価値の転換

――「兵士というもの」は再来するのか?

木戸衛一

きど えいいち | 大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授。ドイツ現代政治・平和研究



はじめに

 

日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国でも、ドイツは長らく、戦後デモクラシーの優等生と目されてきた。ところがこの国でも、「ナチスの手口」(二〇一三年七月二九日、麻生太郎副総理)よろしく、民主主義を装って、民主主義を破壊しようとする右翼ポピュリズムが台頭している。ドイツの書店を訪れると、このような現状への危機感から、右翼ポピュリズムの過去と現在を扱った新刊書が目につく。

 

表題から問題意識が一目瞭然の『ヴァイマル的状況?―我々の民主主義にとっての歴史的教訓』をはじめ(*1)、名著『失われた自由―ヴァイマル共和国の興亡』の新装版も話題を呼んでいる(*2)。異彩を放っているのは、『「私はなぜナチになったか」―初期ナチスの履歴』である(*3)。これは、一九三四年、米国の社会学者セオドア・アペルがヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相に持ちかけて募集した、ナチ党入党の動機を綴った懸賞論文を集めたものである。一等一二五マルク、総額四〇〇マルクという賞金の行方は定かでないが、寄せられた文章は、傷ついた民族的誇り、社会的零落への不安、先行きの不透明感、共産主義への憎悪、大資本への怒り、民族共同体への信仰、指導者(総統)の待望など、部分的には今日の状況にも見事に当てはまる。

 

右翼ポピュリズム政党として勢いを増す「ドイツのための選択肢」(AfD)にちなんで、『人民、民族共同体、AfD』は、「人民」とも「民衆」とも「民族」とも訳せるVolk概念のアンビヴァレントな歴史をたどっている(*4)。もとより、AfDを直接テーマとしたり(たとえば『ドイツにとっての不安 』*5)、いわゆる「新右翼」を分析した(たとえば『新しい右翼、古い思考 』*6)文献となると、文字どおり枚挙にいとまがない。出版界に限らず、さまざまな政治・社会領域で共有される危機感は、単なる一政党の躍進という表層レベルからでは理解しきれない。

 

1 AfDにおける極右の増殖

 

二〇一七年九月二四日の連邦議会選挙で一二・六%(+七・九%)を獲得し、国政の舞台に躍り出たAfDは、その後一年あまりで、全一六州議会で議席を占めるに至った。この事実は、ドイツが政治的次元にとどまらない、精神的・文化的・道義的な分岐点に差し掛かっていることを示している。

連邦議会選挙の投開票を受け、かつて四〇年間キリスト教民主同盟(CDU)に籍を置いていたアレクサンダー・ガウラントAfD共同代表は、「我々は彼ら〔連邦政府―木戸〕を狩り立てる。メルケルだろうと誰だろうと、狩り立てる。そして我々は、国と国民を取り戻す」と宣言した。実際、AfDは議会を宣伝の場に変え、攻撃的な言葉遣いで民主的言説に敵対し、社会をさらに分断する温床となっている。

 

象徴的なのは、ガウラントと共に連邦議会議員団を率いるアリス・ヴァイデルが五月一六日に言い放った「ブルカ女、スカーフの小娘、食べさせてもらっているナイフ男、その他の穀潰しは、我々の繁栄、経済成長、とりわけ社会国家を保障しないだろう」という人種差別意識剥き出しの発言である。ヴォルフガンク・ショイブレ議長の譴責にも馬耳東風の彼女は、一九七九年生まれ。いわゆる「伝統的家庭像」とは対照的に、スリランカ出身の三歳年下の女性と、スイスで二人の息子を育てている。

もともと反EUを掲げて結党されたAfDでは一貫して、排外主義、反ユダヤ主義、歴史修正主義、強力な指導者への傾倒といった極右的要素が強まっている。彼らは、二〇一五年七月四日のエッセン党大会で、新自由主義経済を信奉する創設者ベルント・ルッケ代表に罵声を浴びせ解任した。後任のフラウケ・ペトリも、彼女が保守勢力との提携を模索したため、総選挙のわずか五日後に離党に追いやった。

 

AfDは、歴史修正主義を公然と掲げている。二〇一六年四月三〇日~五月一日、シュトゥットガルト党大会で採択された基本綱領は、「ナチスの時代にドイツの想起の文化を狭める現状は、ドイツ史のポジティヴな、アイデンティティを生み出す側面も含んだ、より開かれた歴史観のためにこじ開けなければならない」と謳っている(*7)。「アイデンティティ」は、「人種」や「民族共同体」に代わる極右のキーワードである。

 

この「歴史観」の具体像は、ビョルン・ヘッケ・テューリンゲン州議会議員団長が二〇一七年一月一七日、ドレスデンで党青年組織が催した集会であけすけに示した。曰く、「リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、言葉の達人だった。だがそれは、自国民のためにではなく、自国民に敵対した演説だった」。曰く、「我々ドイツ人―今言っているのは、今日ここに集まった君たち愛国者のことではない。我々ドイツ人、我が国民は、首都の心臓部に恥辱の記念碑を植え付けた世界で唯一の国民だ」。

 

そしてヘッケは、「今日、フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスの時代よりもずっと、我々を麻痺させているこの間抜けた〔過去の―木戸〕克服政策。我々に必要なのは、想起政策の一八〇度の転換以外の何物でもない!」と叫び、「この国にはもう空疎な常套句は必要ない。必要なのは、我々に何よりも真っ先に先人の偉大な業績に触れさせる生き生きした想起の文化だ」と訴えたのである。ちなみに、同じ集会で、当時ドレスデン地裁判事のイェンス・マイアー(現連邦議会議員)は、「ドイツの罪責文化は終わった、最終的に終わったと宣言」している。

 

ガウラントも、「二つの世界大戦でのドイツ兵の戦功に誇りを持つ権利」(二〇一七年九月二日)を擁護し、「ヒトラーとナチスは、千年以上に及ぶドイツ成功史の中の鳥の糞に過ぎない」(二〇一八年六月三日)と、あからさまにナチスの「過去」を矮小化している。

 

AfDはまた、国粋主義、人種差別主義を隠さない。マイアーが先の演説で、「ドイツのナショナル・アイデンティティを抹消」する「混血民族の製造」を糾弾すれば、アルブレヒト・グラーザー副代表は、「信仰の自由の基本権をイスラムから取り上げるべきだ」(二〇一七年四月一八日)と公言した。ガウラントは二〇一七年一一月二一日、初の連邦議会演説で、前年二二万七〇〇〇人のアフガン人がドイツで庇護を申請したことを指摘し、連邦政府が「アフガン難民が自国の再建に力を貸すことなく、クーダム〔ベルリンの繁華街―木戸〕でコーヒーを飲んでいるのに、改めてドイツ兵を国家救済のためにアフガンに送ろうとしている」と、難民を侮辱・敵視した。

 

他方、反ユダヤ主義も明白で、ヴォルフガング・ゲデオン・バーデン=ヴュルテンベルク州議会議員は、一連の主張の中で、ナチ時代に殺害されたユダヤ人を想起するために道路に銘板を埋め込む、グンター・デムニッヒの「躓きの石」プロジェクトの中止を求めている。奇怪なことに、AfDが党としてユダヤ教の屠殺や割礼に反対しているにもかかわらず、二〇一八年一〇月七日、「イスラム教のユダヤ人憎悪」に対抗するとの理由で、「AfD内ユダヤ人」なる党内集団が発足した(*8)。

 

AfDの歴史修正主義と国粋主義・人種差別主義は、ある種の陰謀史観で繋がれている。その一つ、「フートン・プラン」は、米国の人類学者アーネスト・フートンが、第二次世界大戦中、ドイツの攻撃的ナショナリズムを撲滅するため、非ドイツ系住民の定住を促したとするものである。今日の極右勢力から見ると、この間の移民・難民の流入を通じて、人種混交によるドイツ民族の根絶というフートンの目標は達成されたのである。また、「カウフマン・プラン」は、米国の実業家セオドア・ニューマン・カウフマンが、米独が開戦し、米国が勝利したならば、全ドイツ人に不妊手術を施すべきだと主張したことから、「ユダヤ人の根絶意志の証左」としてナチス宣伝省のキャンペーンの対象になった代物である。

 

ドイツの分割・農業国化を図ったヘンリー・モーゲンソー財務長官の「モーゲンソー・プラン」を含め、戦時中の米国で、非人道的なナチス支配を生み出したドイツ人の精神改造を試みる懲罰的な構想が存在したことは事実である。だがAfDはそれらを、今日のドイツに災厄をもたらした、いわば諸悪の根源と見なしているのである。

 

したがって、AfDには、ドイツ連邦共和国の政治的正統性に対する根本的疑念すら存在する。そのため、彼らは「第二の平和革命」の必要性をしばしば口にする(*9)。だが、その内実は、およそ平和的でない。

 

たとえばガウラントは、二〇一八年六月三〇日、アウグスブルク連邦党大会で、アンゲラ・メルケル首相と一九八九年に退陣した東独のエーリヒ・ホーネッカー書記長を同列に置き、「体制全体、機構全体」の清算を求めた。「革命」を標榜する彼らは、ヴァイマル時代と同様、「体制(System)」を否定的意味で用い、既成政党はおしなべて腐敗していると決めつけ、「民族交換(Umvolkung)」や「外国人過多(Uberfremdung)」による「民族の死(Volkstod)」への不安を煽り立て、それに対する「抵抗(Widerstand)」を呼びかける。そして、外国人、移民、難民、イスラム教徒を、総体として誹謗・侮蔑し、排斥するのである。

 

他方でAfDは、彼らが忌み嫌う「体制」の諸制度を利用して、「体制」の掘り崩しを図っている。たとえば、AfDは、「教育の中立性」を口実に、AfDに批判的な教師の発言を生徒や親に密告させるサイトを開設した(*10)。一〇月一一日、社会民主党(SPD)のカタリーナ・バーレイ法相が述べたように、組織的な密告は独裁体制の常套手段であり、気に入らない教師を暴いてさらし者にしようというのは、自分たちが民主主義者でないと自ら白状しているようなものである。

 

ドイツの政治教育で確立している「ボイテルスバッハ合意」によれば、学問や政治において議論のあることは、授業でも議論のあるものとして扱わなければならない(*11)。だが、そもそも大原則として、基本法や学校法は、教師に人間の尊厳と平等を守り教え、これらの権利の侵害をテーマ化することを義務づけている。AfDによる密告の奨励は、生徒たちの主体的・批判的な判断能力を否定し、「ボイテルスバッハ合意」が禁止する「圧倒」の形を変えた実践と言える。

 

ほかにもAfDは、「中立性」や「税金の無駄遣い」を理由に、自分たちに批判的なバンドや演劇人が登場する文化施設への補助金カットを要求している。一一月には、第二テレビが企画した、バウハウス(ザクセン=アンハルト州デッサウ)での左翼パンクのコンサートに圧力をかけ、会場の変更に追い込んだ。

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