世界から見た日本の性教育

――日本のジェンダー・セクシュアリティ教育を国際的視野から問題にする

橋本紀子

はしもと のりこ | 教育学、女子栄養大学名誉教授



はじめに

 

周知のように、21世紀に入って、日本では学校における性教育への不当な介入、攻撃があいついで起きた。これは、1990年代後半以降に進行したジェンダーをめぐるバックラッシュの延長線上に起こったものである(*1)。90年代前半には男女共同参画社会づくりの議論が政府主導で起こり、「選択的夫婦別姓を含む民法改正要綱」の答申(法制審議会民法部会、1996年)、男女共同参画社会基本法(1999年)の成立、「男女共同参画基本計画」(2000年)の策定などの施策が進んだ。同時期以降、これらのジェンダー平等的な政策や議論を個々にバッシングし、全体として時代を逆行させようとする運動が、日本軍「慰安婦」問題を皮切りに、夫婦別姓問題、男女共同参画条例、家庭科教科書、男女混合名簿、ジェンダーフリー等へとその攻撃の対象を拡大しながら展開して行った(*2)。

彼らの運動の中心的な目標の一つは、固定的な性別役割分業を所与のものとする伝統的な家族像を維持することにあった。これは、来年度から始まる中学校「特別の教科 道徳」の検定教科書にも露骨に貫かれている(*3)。高度成長期の終焉とともに、1970年代に登場した新保守主義は、経済危機の要因がモラルの衰退によってもたらされたとし、伝統的保守的価値への回帰を唱えるが、これは、現代社会を覆う新自由主義の思想とも親和性をもつものである。新自由主義は、各人に競争に耐え抜き利潤をめざす「強い個人」であることを求めると同時に、社会福祉的なものを排除し、家族をセィフティ・ネットとするので、女性に男性を補佐する従属的な役割を強制するという側面がある。したがって、この両者とも、性別役割分業の撤廃をかかげた「女性差別撤廃条約」に反する思想である。

このような、ジェンダーをめぐるバックラッシュの中で、周知の「七生養護学校事件」は起きたのである。当時、矢面に立たされた性協教の代表幹事浅井春夫はその異常さを次のように語っている。「(今回のバッシングは)議員による質問をテコに、教育現場と行政に直接介入し、具体的な影響をあたえている点で大きな特徴があります。また、一部のマスコミを最大限活用してというよりも、むしろ一体となって行われていることは特徴的で異様な状況」(*4)と指摘していた。事実、産経新聞の報道は常軌を逸する異常なものであった。

さらに、浅井は、本格的に政府主導の男女共同参画社会づくりに対する攻撃がはじまったのは、「日本女性の会」(日本会議の女性組織)などが結成された2001年9月以降であるとして、その後の経緯を述べている。性教育への攻撃は、ジェンダーをめぐるバックラッシュの一環であるとともに、その後に続く政治反動の露払い的な役割を担わせられていたのである。

2018年3月にも東京都議会文教委員会での古賀俊昭自民党都議の質問――足立区の某公立中学校の性教育実践は学習指導要領違反ではないか――があったが、これを受けて、都教委は問題があるので指導をしたい旨の答弁をするという事態が起きた。議員の質問と、行政の答弁によって性教育を抑圧、委縮させるという構図は、以前と類似していたが、メディアの取り上げ方や世論は「七生養護学校事件」の時とは大きく違った。この背景には、何よりも、七生養護学校「こころとからだの学習」裁判の原告勝利がある。東京高裁判決(後に最高裁確定)では、学習指導要領が「最小限度の基準である以上、定められた内容・方法を超える教育をすることは明確に禁じられていない限り許容される」と、学習指導要領はおおよその教育内容を定めた大綱的基準であり、記載されていない内容を子どもに教えることがただちに違法とはならないとされた。これに加えて、LGBTIの人権擁護運動の盛り上がりと法制化などの国際的また、国内的動向がある。

しかし、今年の7月には自民党杉田水脈衆議院議員によるLGBTは「生産性がない」とする論考が発表されるなど、性教育に対する無理解だけでなく、性の多様性を含むジェンダー平等に否定的な意識と潮流が日本社会には存在している。一方で、これに抗した言論や教育実践も積み重ねられてきた。このような日本の性と性教育をめぐる状況は国際的には、どのようなものと見られるか。

本稿では、まず、性教育に関する国際的動向をおさえ、そのうえで、日本の性やセクシュアリティ教育に関する現状と課題を検討したい。

 

1、性教育に関する国際的動向(20世紀末~2018年)と国際標準について

 

現代の子どもたちはインターネットを介して多くは不正確な性情報を得ているだけではなく、とくに男子の大半は非現実的で女性差別的なポルノを観ており、また、セクハラやデートDVだけではなく、”Sexting”と言った新種の性暴力にもさらされている。これらの問題に積極的に取り組むために、現在、多くの国々では、性教育が学校教育において重要な役割をはたすものと位置づけられ、義務づけられている。このような性教育の在り方は、20世紀末、21世紀以降の国際的な文書によっても、明らかである。表1に見られるように、1999年の世界性科学会の「性の権利宣言」以降、関連機関による国際的文書、宣言では、人間の性をセクシュアル・ライツとセクシュアル・ヘルスの点から捉え、そこには、性教育を受ける権利も含まれるようになった。性教育も科学とジェンダー平等や性の多様性を含む人権尊重を基盤にした包括的性教育へと発展する。

特に、この動向に拍車をかけたのが、2009年のユネスコ(国連教育科学文化機関)『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』(*5)である。そこでは、5歳から発達段階ごとに達成されるべき学習目標が設定されたばかりではなく「寝た子を起こす」というような性教育に対する懸念を払しょくする「包括的性教育プログラム」実施後の子どもの性行動調査の結果も示されている。

また、2010年にWHO(世界保健機関)ヨーロッパ地域事務所とドイツ連邦健康啓発センターが発行した『ヨーロッパにおける性教育スタンダードー政策決定者、教育及び健康関係当局及び専門家のための枠組み』も、0―4歳、4―6歳、6―9 歳、9―12歳、12―15 歳までと、15 歳以上の子どもの発達に即して、学習目標を決め、「人間の身体と発達」に始まる8つの課題について、それぞれの段階での必要事項を「情報の提供」「スキルの修得」「思考や理解の発達」の領域ごとにマトリックス図法にしてあげ、提供すべき情報と修得させたい力を明らかにしている(*6)。

ユネスコの「ガイダンス」は、2018年1月に改訂されたが、そこで示された包括的性教育の枠組みは、①関係性、②価値・権利・文化・セクシュアリティ、③ジェンダーの理解、④暴力と安全の保持、⑤健康と幸福のためのスキル、⑥人間のからだと発達、⑦セクシュアリティと性の行動、⑧性と生殖の健康の8領域からなる広い射程で構成されている。包括的性教育は何よりも、ジェンダー平等、人間の多様性と相互尊重を前提に構成されていることが特徴である。とりわけ、『ガイダンス』や『スタンダード』の発達の捉え方は、①子ども・若者に性と生殖の健康と権利を保障し、彼らがそれに関して自己決定と社会的責任をとれるように準備させること、②そのために子ども・若者が性的に活発になる前に、セクシュアリティに関する基本的な知識やスキル、価値などの学習を保障しようと考えていることが特徴である(日本の文科省の言う「発達段階に即して」の使われ方とは異なることに注目)。

 

2、日本と欧州諸国の学校における性教育の違い

 

(1)日本の性教育の特徴

日本では、性教育は公式には必須であるが、時間や内容は具体的には示されておらず、性教育の最低標準がない。それだけではなく、教える内容に厳しい制限があるという特徴がある。筆者等の中学校向け2007年調査によれば(*7)、性教育は、主に保健体育教師と養護教諭によって教えられ、中学校の性教育のほぼ80%は保健体育で扱っていた。この時点では、性教育関連NPOとの連携はあまり見られない。また、3学年で性教育にあてる時間の平均は9・19時間。性教育に関する生徒知識調査の正解率は男子34・5%で、女子の39・4%より低く、分からないという回答が多かった。また、約半数の男子は、特に性について知りたいことはなく、相談したい人もいないという結果であった。保護者は、学校は家庭より性の生理学的側面や正確な情報を提供するのに適していると答えるものが多数であった。

2017年に再度、中学校の性教育調査を行ったが、中学3学年の性教育の総時間数は増えるどころか、若干減少していることなどが明らかになっている(*8)。

(2)欧州諸国の性教育の特徴

欧州諸国の多くの国では、性教育が必修であり、その内容に最低標準がある。性教育関連事項を扱う教科は生物や科学が多く、その他に健康教育やPSHE(個人的社会的健康と経済についての教育)、総合学習などがあげられる。したがって、性教育は主にこれらの教科担当者と学校医、学校看護師、スクールカウンセラー、ファミリー・プランニングのスタッフなどの健康専門職者が担当する。さらに、ほとんどの国では関連のNPOが学校と連携しているが、これは、青少年の性的健康にかかわる学校以外の公的機関やNPOが数多くあることとも関係している。NPOの建物、維持運営費等に公的資金が投入されていることが多いという点も日本との大きな違いである。ちなみに、NPOの運営する性教育関連施設への公的資金の投入という点は、東アジアの韓国等でも見られる。

次に、今年3月に都議と都教委が問題にした性交、妊娠、避妊、中絶等を中学校で教えるという点に関して、海外の教科書ではどのように記載されているか。また、日本でも注目されるようになったLGBTIに関してはどうかについて、いくつかの国の例を紹介したい(*9)。

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